草葉達也の神戸神社紀行

「須磨の天神さま」 

‐綱敷天満宮‐

 神戸は本当に魅力的な街だ。車を使えば海からわずか数分で山に辿り着く。それも名ばかりの山ではなく標高1000メートルの六甲山が聳(そび)え立っている。明治以降、神戸に移り住んだ外国人たちが、母国に帰らず終の棲家として神戸を選んだのも、この地形に魅力を感じたのに違いない。

 

神戸の海と言えば須磨。私が子供の頃は高度成長期で、お金と時間に余裕ができ娯楽に飢えていた人たちが、こぞって須磨海岸に集まった。私の同世代の人たちの子供の頃の写真に、必ず一枚は須磨海岸で海水浴を楽しむ姿があった。美しい松の林や、タイヤのチューブを利用した貸し浮きに手漕ぎボート、海の家がずらっと並ぶ光景が思い浮かぶ。本当に足の踏み場もないほど、大勢の人たちが須磨の海岸に押し寄せていた。水ははっきり言って汚かった。台所洗剤の「ママレモン」の容器が至る所に浮かび、ガラスの欠片で足を切ったなんて言うことも聞いた。

あれから半世紀、須磨の海は驚くほど綺麗になっている。遠浅ではないので沖縄のような青い海ではないが、近年の透明度には驚かされる。それもJR須磨駅から徒歩0分で、須磨海岸のロケーションの真ん中に立てる。砂浜では近くにある国際学校の生徒たちが、音楽を聴きながら会話を楽しんだり、ボールで遊んだりしている。明治以降に住み着いたエトランゼたちの末裔だろうか。

 

そんな須磨にある綱敷天満宮に行った。天神さまには少し縁がある。私は神戸生まれ神戸育ちだが、先祖代々の墓がある福岡の天神に本籍を残してある。少しだけご先祖様孝行しているつもりだ。福岡の天神という街の由来を調べてみると、やはり菅原道真公に所縁のある「水鏡天満宮」があり、この辺りが天神という地名で呼ばれるようになったそうだ。

「綱敷天満宮」も「須磨の天神さま」と呼ばれ、春は天神さまの代名詞である梅の花が咲きほころび、参拝客で賑わう。

 私が訪ねた頃は、まだほころびとチラホラ程度だったが、早春の梅の花は、力強くとても清らかで綺麗だった。やはり学問の神さまを祀っている神社の梅だと実感した。

 梅・桃・桜はこの順番で咲くため、冬の終わりから春に咲く花の代表として「うめ・もも・さくら」と言われている。もし桜が早く咲き、そのあと梅と桃が咲くと「さくら・うめ・もも」と語呂が悪い。「さくら・もも・うめ」「うめ・さくら・もも」「もも・さくら・うめ」と、他の並びでも語呂が悪い。やはりどう考えても「梅・桃・桜」でないと落ち着かない。

 

梅は季節を人よりも早く知る、趣味人と呼ばれるような方が好む花で俳句などによく使われる。すぐに浮かぶのは、松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪の、「梅一輪一輪ほどの暖かさ」ではないだろうか。桃はというと、梅や桜に比べるとピンと来ない。花の色と形から梅や桜と間違われることも多く、桃の花にとって最大のイベントであり、アピールポイントの三月三日の「雛祭り」がなければ、ほとんど話題になることもない。春の三大花として、梅と桜の間に挟まれた次女はやはり肩身が狭いポジションなのか。

桜は私が言うまでもなく、日本一の花であり日本国民が最も好む花。よく武士に例えられ、綺麗にパッと花を咲かせパッと散るという、その散り際の潔さが武士にも喜ばれた。ただパッと散ってしまうという理由から、武士の中には嫌がる人も多く、庭に桜を植えないとか、日本の家紋に桜が少ないという理由にもなっている。

 綱敷天満宮の境内には沢山の木々に花が咲き、梅の後は枝垂れ桜も楽しめる。大変な時代だが、この須磨の天神さまで見た一輪の梅に、誰もが未来の明るさを感じていたに違いない。


草葉達也(くさば たつや)

1963年 神戸生まれ

作家/エッセイスト 

日本ペンクラブ会員

阪南大学国際コミュニケーション学部講師

宝塚歌劇史歴史研究家 大阪大学文学部文学研究科